アマゾンに恋する理論的考察

 パンチラってあるじゃないですか。パンツがチラリのパンチラ。あれって隠すから見たいだけであって、つまりはただの布切れなワケですよね。本来なら生殖には直接関わりのない布切れで興奮できるって本当に不思議。

 しかもエロス界のヒエラルキーで言えば、水着のグラビアより野生のパンチラの方が上位ですよね、なぜか。ついでに言えば、見せるブラ、なんてものもありましたよね。あんなの言ったもん勝ちみたいなところありますよねジッサイ。

 つまり、女性が「見せている水着」と「隠しているパンツ」なら、同じ木綿生地でもエロス的価値が変わってしまうわけですね。「え?これ見せパンだし」って言われたら「あ、そうなんだ、ごめんごめん」なんて謝りつつ、内心では(見せパンなんてあったのか!?なんだツマラネーな…)とかなりません?相手の隠蔽意識(貞操観念?)が低いとエロス価値も下がるわけですね。

 これらを考えると「裸体以外のエロス」というものには絶対値がない、という事実が見えてきます。もちろん各個人の性的興奮材料こそ千差万別ではありますが、付加価値を失うことと無価値に成り下がることは同意である可能性すら出てきました。

 ん?いやいや、むしろ付加価値にこそ興奮している、ということになるのか?ふむ、実に面白い。

 パンツがあくまで布であることは理解した上で「性に関わる羞恥を蹂躙せしめたこと」に対して興奮している、ということか?「隠していたパンツ」ではなく、「隠しているハズのものを見ちゃった背徳感&お得感」に興奮していると、そういうことなのか?

 もしそうならば、パンツは性衝動を焚き付けるトリガーでしかなく、あとは脳ミソの中で無意識的に過去に経験したムラムラの断片をツギハギした結果が「お!パンツだ!ラッキー!そしてボッキ!」へ昇華される、ということなのかうおおおお!


 話は変わって、敬虔なイスラム教徒の女性って肌を露出させないじゃないですか。顔まで布で隠してて、手と足しか見せないの。

 昔ね、知り合ったイスラム系の男にきいたの。全身布ずくめの女性のどこに興奮するのかって。そしたらそいつは照れながらもこう言い放ったの。

くるぶし!」

 想像もできない角度からまさかのクルチラ。隠されてりゃなんでもいいのかと。男にもあるだろ、くるぶし。逆に、「女性らしいセクシーなくるぶし」なんていう概念が、イスラム教の男性には存在するのだろうか?

 このイスラム男子の純情を加味すると、やはり「本来隠されていてしかるべきモノが見えた」という付加価値に準ずる形の興奮が垣間見えてくる。くるぶし自体ではなく、「隠されている」という付加価値こそが興奮につながっているのだ。

 しかし、私が問い詰めたイスラム青年は、その「隠されている」という付加価値などには微塵も触れず、「くるぶしに興奮する!」と明言していたのである。これはつまり、女体に興奮を覚える多感な時期にこそ感じていた「隠されているべきくるぶしが見えちゃった!」という経験を積み上げ繰り返すうちに、総合的な興奮材料から「隠されているべき」という部分をまたぐ形で「くるぶし=エロい」という直結型の興奮術式が構築されたに違いない。

 となると、日本のニュースで見られる「下着泥棒」は、性的興奮を刺激する回路が性対象である女性という存在をまたいでしまった可能性が見えてこないか?「女が履いているパンツはエロい」という意識から「女が履いている」をまたいで「パンツはエロい」とブラッシュアップされた性癖の終着点が「下着泥棒」なのだとしたら、ある意味その道を極めた形のひとつであると言えなくもないだろう。


 アメリカンジョークのひとつにこんなのがある。

 新しい囚人が刑務所に着いた。入所手続きが済み監房へ入れられると、程なく誰かが大声で「52!」と叫んだ。すると囚人全員が笑い出した。

 静かになってからしばらくすると今度は誰かが「23!」と叫び、またみんな笑い出した。不思議に思ったその新米は、番号が言われただけでどうしてみんな笑っているのかを古参の囚人に尋ねた。

 するとその古株からはこんな答えが返ってきた。「俺らはここが長いもんだから、同じジョークを何回も聞かされているんだ。だから時間を節約するために各々のジョークに番号を振ったっていうわけさ。」

 その時、また一人の囚人が「37」と叫んだが、みんな静まり返ったままだった。新米が古株に「どうしてみんな笑わないんだ?」と尋ねると、「なぁに、あいつはジョークの話し方っていうもんが分かってないのさ」という返事だった。

「俺もやってみていいかなぁ?」と新米。
「おお、やってみな」と古株。

 そこで新米はしばらく考えて、「97!!」と叫んだ。すると監房中が大騒ぎになり、みんなヒステリックなほどに笑い始め、床の上を笑い転げて喜んでいる者もいた。30分ほど経っても、まだ思い出し笑いをしている者がいる。新米はジョークが受けたことに気をよくして、「97ってのは面白いヤツだったんだろうね?」と言うと、古株はこう答えた。

「ああ、最高だった!何せ聞いたこともない新ネタだったもんな!」


 ここまで来てようやく話せるのだが、俺は、最近、アマゾンに、興奮する。もちろん南米を切り裂く大河アマゾンではなく、便利なネットショッピングの帝王Amazonである。

 いつか訪れるかもしれないケミケミなキメオナを妄想しつつ新着エログッズの海をザッパザッパと泳ぎ続けていたところ、いつの間にかオナホの挿入口や材質、電動オナホの回転や吸引のパワー、前立腺プラグの形状や長さ、果てはローションの原材料を見るだけで、ガマン汁が、出るのです。本当にあった怖い話。ひいいいい!

 いや、ギリギリそこまでなら、快楽と直結しているエログッズ自体が興奮の対象だった内は、まだよかったのかもしれない。

 もはや俺は、

この「ただの段ボール箱」にすら興奮する。ヤバイ、エロいグッズが今にも届いてしまいそうだ。いやいや、それでもここがキワのキワ、「箱という物質」があるだけまだマシだったかもしれん。むしろ今の俺は、

このアマゾンロゴを見るだけでゾクゾクする、という、先の「ジョークNo.97」みたいな末期状態まで追い込まれつつあるのだ。まさにパブロフのバター犬。「性的興奮に至るまでの工程」が最適化されブラッシュアップされ、記憶上の快楽と期待値と無機質な記号がみごとに直結されてしまった。その観点から読者諸君へ声高に叫び伝えたい。さぁ今新しく開かれた真実の眼で見るがいい、このエロスに満ちたAmazonのロゴを。

 この黄色いモノはZのどこに入ろうとしているのか?AからZまで?はアナルだとしても、Zとは一体何なのだろう!?まだ俺の知らない未知の穴がこの体に存在するのだろうか?嗚呼、そのZを教えてくれエログッズの神Amazonよ!


 最後に。

 この通り、今でも現役、直管バリバリのラオであるが、ここ3週間ほどでさらなる進化を遂げたらしい。昔から俺はエロ動画を見るにあたって「男性器が女性器に出入りする局部ドアップシーン」が大好物なのだが、ふと気付けば最近の俺が鼻息も荒く凝視しているのは「太いチンポで貫かれる濡れそぼった女性器」ではなく「女性器に出し入れされるヌラヌラと光沢を放つエロいチンポ」へとパラダイムシフトていた。

 知らぬ間に、エロスの中心がマンコからチンコへとシフトしてしまった現状を考えるに、俺史上で最も重大な局面を迎えている気がしてならない昨今である。そして今日の俺も、ヌラヌラと濡れながら出し入れされる太いアマゾンに恋をするのだ。